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第5部 国家のオーナーが舵を取る

 投稿者:斉藤真一  投稿日:2001年 1月 2日(火)00時21分2秒
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   オーナーたる者の条件は、市場で商売に従事して所得を稼ぎ出して生計を賄う責任と実力を備えているかどうかであり、これは家族のオーナーでも企業のオーナーでも国家のオーナーでも同じことである。国家のオーナーたる民業の目的は経済活動に従事して国民生活を賄うことであり、その任務は商売であり、その領域は自由経済市場である。

 政府が国家のオーナーたり得ない理由は、議員も役人も法律によって「生活保護」を受ける身分であって自立収入基盤を持たず、しかもおのれが采配を振る公務資金の運営収支に対して弁償責任を負わないからである。しかるに、政府も民業も、建国以来一貫して政府がオーナーであるかのように錯覚してきた。それは何故か。互いがおのれの役割と身分について無知だったからである。

 第1部において、政府と民業の役割を曲がりなりにも区分して提示した意図はそこにある。民業というものはただ商売をしていればそれで良いものではない。公共事業にぶら下がって稼いでいればそれで良いものでもない。民業には建国以来片時も休まず国家の台所を賄ってきた実績と誇りがある。そして今も1億2,600万人を養う国家のオーナーなのだ。

 国家のオーナーたる民業が政府を監督しなければ、一体誰が監督するだろうか。議員や役人は、前述のように自立収入基盤を持たず政府に弁償責任を負わない。そもそも政府自身の構成員に政府を監督する資格はない。かといって「国民」が政府を監督できるわけでもない。いくら「主権が国民に存する」といっても、自立収入基盤を持たない乳幼児や生徒・学生や専業主婦や老人や無職者には監督する実力も手立てもない。

 では、「有権者」が政府を監督するか?確かに有権者は選挙の度に1票を投じて来た。しかし、それで政府に何を命じたか?有権者が政府に何かを命じたことは一度もない。命令権を持たない者に監督が勤まるだろうか?

 行政府というものは「公務」と称して四六時中金をかき集めたり借金して使いまくる。立法府はその一々の公務を法律で裏書きするために毎年百本前後の議案を採決する。有権者はこれら膨大な数の議案のうち何本をチェックして来たか?いくら「普通選挙を保障する」といっても、4年置き・3年置きの衆・参議員選挙なんかで議案をチェックできるものではない。せいぜい適当な政党か議員を選んで「よきに計らえ」と言うしかない。有権者は実質上いかなる監督権限も持たない「裸の王様」である。

 結局、商売に従事して国民生活を賄う民業者5,940万人が監督責任を負うほかないのだ。このような民業の役割を自覚するとき、経団連、日経連、経済同友会、日商他諸々の民業団体の責任は重い。公共投資を増やしてくれとか不良債権を放棄してくれとか言って、いつまでも政府に依存しているようでは民業の自立も繁栄もないと知るべきである。 

 自由経済市場は民業がそこで商売を競う世界共有の舞台である。創意と工夫と努力によって無から有を生み出す場所、付加価値を生み出す場所、所得を生み出す場所、商いをする場所、稼ぐ場所、食べていく場所である。民業はそこに身銭を投入し、リスクを賭けて競争する。そうして国民生活を賄っていくのだ。

 世界の動向を眺めれば、ソ連が崩壊し、ベルリンの壁が崩壊し、東独も中国もポーランドもユーゴもベトナムもキューバも自由経済市場に向けて舵をとる。固定した体制やイデオロギーが次々と悠久の歴史の流れに呑み込まれていく。もともと市場というものは不自然を嫌う。経済状況を固定しようとする者を嫌う。不当な統制や規制を拒否する。

 人の経済活動を川の流れにたとえれば、自由経済市場はさしずめ七つの海にあたるだろう。政府がいくらブロックを築いても、川の水はこれを乗り越えて大海に流れ込む。いくら公務資本を投入しても、とうてい制御しきれるものではない。自然の流れに逆らって巨大な牙城を築く者はやがて巨大な水圧に押し流されて崩壊するのだ。

 自由経済市場においては、民族も国家も独裁主義も共産主義も社会主義も民主主義でさえも特別待遇を受けることはない。自然の摂理に基いて資本が資本自らの論理でのびのびと活躍する世界である。インターネットが普及して情報とマネーが瞬時に世界を駆け巡り、輸送手段が発達して人と物資の移動が速くなれば、国境の壁が溶解するのも自然な成り行きである。政府の権威が低下して民業の権威が高まるのも歴史の趨勢というものだろう。

 政府が市場に介入する時代はいずれ終わりを告げる。好むと好まざるとに拘わらず、終わらざるをえない。なぜなら、それは、自由でのびのびと行われるべき経済活動にとって極めて不自然な状態であるからだ。その昔、民業は政府を必要としなかったが、今また政府は民業の「お荷物」になってきた。重い荷物を軽くする時期が来たのである。
 

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